3セク化前の信楽線には、国鉄時代に一度、JR西日本から3セクへの切替前日に一度訪れています。
1986年11月16日。終点の信楽まで乗って、折り返しが出発するシーン。
車両のみならず、小物や周囲が醸す雰囲気も国鉄時代ですねえ。
当時でも腕木信号機はずいぶん数を減らしていました。こうして37年という月日が過ぎると、なまじ走行写真にこだわるより、駅周辺や家屋、人の営みなどと一緒に撮影した方が後年印象的な写真になるのでは、と思ったりします。
走り一発目は、川を渡ってすぐの斜面。
おそらく今はこんな風には撮れないでしょう。
貴生川方に歩き、現在の玉桂寺前駅あたりで、
高校一年生、頑張ってる感があります。。
全然記憶がないのですが、9キロポストなので雲井のもっと先まで歩いたようで、
これがこの日のラストカットでした。現在は15往復ある信楽高原鉄道ですが、Wikiによると移行前は9往復だったそうなので、日中の撮影チャンスは少なかったのかもしれません。
約半年後の1987年7月12日、翌日から3セクとなる同線にさよなら列車が走ります。
キハ58系4両の臨時に加え、マイテ付き旧客4連にDE10プッシュプル。そりゃ湧きますよね。
あいにくの天気でしたが、この場所はなかなかの人出でした。マイテの復活は1987年3月ですから、これってもしかすると初の非電化入線だったかもしれません。
カブリついてマーク付きを。
昭和っぽい古臭いマークで味わいがありますねえ。
信楽駅手前のこのポイントは盛況でした。
この場所の37年後の姿はこちら。
この頃からフツーの編成写真ばかりじゃ面白くないとか思い始めて、ちょっとズレたカットを撮っています。なかなかの人出だったのがおわかりいただけるかと。
あらためておもしろいな、と思うのは、当時これだけ多くの人が写真を残しながら、現在ググッて引っ掛かる写真はごく僅か、ということです。撮り鉄がアウトプットに重きを置いていないこと、30年を超えるスパンで継続する人の数は決して多くない、ということかと思っています。
何を思いついたかレトロっぽい一枚を、ってことで、
10秒のセルフタイマーで、自分の後ろ姿と共に。絶妙のタイミングでシャッターが落ちたのは偶然ですが、自身の感覚も今よりシャープだったのは間違いありません。そういやBenkei氏を真似て、時々下駄穿いてテツして粋がってたなあ。
オマケ。
父が貴生川駅で撮影した信楽線のキハ。1984年かな?
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