1002号機は1001号機と共に59.2で宇都宮区から東海道筋へ。1001が宮原区へ配属される一方、1002は下関区に配置されました。スノープロウもそのままで、テツには喜ばれましたね。

といって、1002を追っ掛けてる、なんて話は聞いたこともなく、来たらラッキーぐらいの感じですか。
20系団臨。

1002と知ってて連れて行ってもらった気がします。当時はそれほど貴重という意識はありませんでしたが、20系12連って、後にも先にもこれしか撮ったことないかも。窓上の細帯が消されていないのもでポイント高いですね。
同機は60.3で吹田区へ移り、その後スノープロウが外されました。下関にいた1年強は関西ブルトレを頻繁に牽いていたはずですが、マークが復活したのは60.3なので、カン付きブルトレの先頭には立っていないと思われます。
吹田なので当然貨物も。

客車も。

民営化を前に新鶴見区へ、JRF帰属となって塗装も変更、最後は岡山で2008年に廃車となっています。下関、吹田時代はそれなりに特別感があった同機ですが、貨物ガマとなった後は地味な存在だったのかもしれません。
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